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2023年度第3学期終業式 高校校長訓話

 おはようございます。3学期の終業式にあたり話をします。

 新たな年の幕開けを迎えてから、あっという間に早2ヵ月以上が過ぎ、3学期の終業式の日を迎えました。そしてまもなく学校としての年末・年始の時期という節目を迎えようとしています。

 今年の年明けには、北陸地方での大地震が発生し、晴れやかに新年を迎えるはずだったたくさんの方々の思いが打ち砕かれ、数多くの命さえもが突然失われるような大惨事が現実のものとなってしまいました。阪神大震災や熊本地震、そして東日本大震災など、様々な災害を乗り越えてもなお、このような大惨事が続き、今後も南海トラフなどの脅威の可能性が盛んに叫ばれています。

 東日本大震災が発生した日付である今週の3月11日には、全校で避難訓練、消防局の方による研修、そして防災Walkを実施し、校内での避難経路の確認や防災に関する研修を行い、さらに居住地に基づく地区会に分かれ、一部区間ではありますが、居住地の方向に向けて徒歩での帰宅を経験してもらいました。

 皆さんはこの日にどのように臨み、どのようなことを感じたでしょうか?テニスコートに来た皆さんには当日の講評でも述べましたが、防災は結果がすべてです。災害時などにおいて、いくら想定通りに、迅速に、そして誰かに言われたとおりに動いたとしても、命が失われてしまったらそれまでです。逆にのんびり行動していたとしても、誰かに言われた指示通りには動かなかったとしても、命が奪われなければそれはそれでよかったとすることができます。

 また何らかの試験や試合、あるいはコンクールなどとは違って、災害や事故はいつ起こるかが事前にわかりません。いつ何時、想定を超えるような、想像もできないようなことが起こるかもしれない中で、ともすればすべての準備が全く通用しないような事態が襲ってくるかもしれないのです。気をつけているつもりでも、どうしようもない場合もあるでしょう。そのような恐ろしい無限の可能性の中で、それでも自らのたった一つの命を守るために、大切な存在を守るために、我々は可能な限りの想定と準備を進めなければなりません。さらにその準備や想定をはるかに超えるような事態にも対応するための知恵や力を身につけなければならないのです。命がかかっていることについて、準備や想定の水準を超えられたらそれで終わり、と容易に腹をくくるわけにもいきません。かといって事前にすべてを想定のうちに入れることなどかなうはずもありません。

 もちろんどうすればよいのか正解は誰にもわかりません。いつ何時どのような事態が生じ、どのような準備・想定があれば万全であるのか、またはその準備・想定をはるかに上回る事態への対応をいかに考え、いかに実行すればよいのかなどについて、すべてをわかることなど誰にもできないと思います。

 しかし、わからないからそれで終わり…、考えても無駄である…、と言ってあきらめるのではなくて、わからないからこそ考え続けることが大切なのではないでしょうか?確かに、災害や事故などいつ起こるかもわからない…、災害の規模について考えてもわからない…、いくら想定しても無駄になるかもしれない…、いくら準備しても通用しないかもしれない…、そしてそもそも何をどのように考えればよいのかを定めることすらも難しいと思います。しかし、それでも、目を背けずに考え続けるしかないのだと思います。わかろうとするよりも、考えること自体、考え続けること自体が、いざという不測の事態における有益な経験となるものであると捉えるべきなのかもしれません。当然のことではありますが、我々は「考えてもいなかった」という事態には非常に弱い側面があります。「考えたことがある」「考え続けてきた」という経験がいざというときには非常に大きな意味を持つと思います。さすがに四六時中とは言いません。先の3.11の防災Walkのような機会をはじめ、自身が命の大切さについてふと思いをめぐらせるような瞬間があるなら、そのようなときにこそ、避難経路、備蓄、連絡手段、申し合わせなど、日ごろの想定や準備の状況に少し意識をおいてみてください。誰かのためにとは言いません。誰もが誰かにとっての大切な存在ですから、まずは大切な自分のために、その尊い命を守ることについて、何かできることはないか思いを馳せてください。

 そしてこれだけは確信できます。「考える」ということについて、人任せにしてはいけないということです。危険があれば誰かが知らせてくれる、誰かが避難経路を考えてくれている、誰かが備蓄を用意してくれている、誰かが連絡をしてくれる、細かいことは誰かが考えてくれている、いざというときは誰かが自分を助けてくれる… 普段からこのような受動的な姿勢でいることには大いに問題があります。

 このような話を聞いたことがあります。ある大学の先生が話していたそうですが、「カゴで飼っているネズミが、自分の意志によって回し車を回している分にはいくら回っても問題ないのですが、人間の手で無理やり回されて走らされている状況が長く続くと死んでしまった」という観察結果が得られたようです。ネズミと人間は違いますが、思考や感情という部分ではるかに長けている人間であれば、むしろさらにその傾向は強まるかもしれません。やはり行動の原動力は「自分」でなければならないのです。少なくとも、自分の意志に反して、あるいは何も考えずに、誰かに回されている回し車で走らされているような生き方は避けなければなりません。自分が回し車を回したいと思うなら、誰かに任せるのではなく自分で回してほしいと思います。自分が思うままに自分のペースで回して走ってほしい。そこに意志や希望や主体的な思考が伴っていてほしいのです。自分でペースを考えて、自分で強弱をつけて、自分で工夫をして、回すのも止まるのも自分の状況を踏まえながら自分で判断できる人であってほしいと思います。いやなら回さなくていいのです。走りたくないなら回し車から降りればよいのです。いやでも回さなければならないときがあるなら、誰かに頼って協力してもらえばよいのです。大切なことは、自分の判断や行動を誰かに任せたり、誰かの言うとおりにしか動けないような姿勢からは脱却するということです。勉強も部活動も、そして今回テーマとしてお話しした防災についても、すべて主体が「自分」でなければ、真価や真髄に近づくことはかなわないと思います。皆さんが、何事においても主体的に考える習慣を通して、未来の「なりたい自分」、そして大切な誰かを守ることができる強さを育んでくれることを期待しています。まずは新学年を間近に控えたこの春休みにおいて、ぜひ自分で考えて、自分の思いに基づく主体的な姿勢と行動を心がけてください。

 さてS1学年の皆さん、本日は中学校卒業という大いなる門出の日です。全員でよい卒業式にして、力強く高校生活への一歩を踏み出してくれることを期待しています。

 そしてK2・V1学年の皆さん、まもなく最上級生としての生活がスタートします。まもなく満開を迎える桜のごとく、これまで培ったものを大いに花開かせるときがきました。学校行事などあらゆることが「高校生活最後の…」という枕詞のつく機会となると思います。大いに元気を出して悔いなく取り組み、このパワースポット須磨学園の充電の推進力となってください。期待しています。

 さあそれでは全校生の皆さん、全員で今日という日をよい日に、そして明日から有意義な春休みを過ごし、4月からもこの丘の上で、新学年生として、中高それぞれの新入生を加えた全員で、たくさんの未来へのパワーを産み出していきましょう。

2024年3月16日 高校校長 堀井 雅幸