今年の冬は、厳しく長いものでした。
しかし、先週あたりから正面玄関前の紅梅と白梅がほころび始め、例年よりも少し早い春の訪れを告げてくれています。
須磨学園高等学校共学25期生210名、中高一貫第17期生139名の皆さん、ご卒業おめでとうございます。
保護者の皆様、ご子息ご息女が立派に成長されて巣立ちの日を迎えられたことに心よりお祝いを申し上げます。
皆さんが中学一年生の、希望に胸を膨らませていたあの春、社会は突如としてコロナ禍に見舞われました。本校をはじめこの国の入学式は画面越しで行われ、学びも活動もリモート。または休校。本来ならば、仲間と肩を並べ、時にぶつかり、語り合いながら成長するはずの時間は、多くの制約の中に置かれました。当たり前の日常が、決して当たり前ではないことを、皆さんは誰よりも身をもって知っています。
しかし皆さんは、その困難の中で「できない理由」を探すのではなく、「どうすればできるか」を問い考え実行しました。仲間の存在がいかに得難いものであるかを学びました。これは、この時代を生きた皆さんにしか得られなかった、一生の財産です。
もし、経験できなかったことがあったとしても、決して遅くはありません。今からでも、いくらでも取り戻せます。これからも、他者と深く関わり、自分の言葉で伝え、自ら考え、行動していくことを恐れないでください。
さて、大人はよく「皆さんの可能性は無限だ」と言います。しかし、現実はもっと複雑です。自分の努力だけでは超えられない壁もあれば、高すぎる目標が残酷な結果を招くこともあります。努力が必ずしも報われるとは限らない――。学校において、こうした言い方は「身も蓋もない」と感じられるかもしれません。
では、到達できないかもしれない目標に向かって努力することに、意味はないのでしょうか。私は、「否」であると考えます。
今年の大学入学共通テストの国語に、遠藤周作氏の『影に対して』が出題されました。
その中に、このような一節があります。
「アスハルト(アスファルト)の道は安全だから誰だって歩きます。……でもうしろを振り返ってみれば、その安全な道には自分の足あとなんか一つだって残っていやしない。海の砂浜は歩きにくい。歩きにくいけれど、うしろをふりかえれば、自分の足跡が一つ一つ残っている。」
安全な道には、足跡は残りません。歩きにくい砂浜にこそ、その人が生きた証としての足跡が刻まれます。人生を振り返ったとき、私たちの心に残るのは「何を得たか」という結果よりも、「どう歩いたか」という過程ではないでしょうか。高い場所に登らなければ見えない景色があるように、挑戦した者にしか見えない世界があります。挑戦した末の失敗を、誰が笑えるでしょうか。「できなかったこと」と「やらなかったこと」は、結果が同じであったとしても、その人の心に残る意味は全く異なります。
私は、遠藤氏のお母さんのように「決して安全な道を歩くな」と断言できるほどの覚悟はありません。皆さんに過酷な道を強いる立場でもありません。
ただ、一つだけ願うことがあります。
どうか、自分自身で「納得できる人生」を生きてください。「こうありたい」と思う自分に、一歩ずつ近づいていってください。
迷い、矛盾を抱え、震えながらも踏み出すその一歩を、大切にしてください。可能性は物理的には有限かもしれませんが、未来を想う心はどこまでも自由で、無限に広がっています。
皆さんの前途に幸多からんことを祈念し、式辞といたします。
2026年3月1日 理事長 西 泰子
