理事長 式辞


 たった今、卒業証書を授与された9期生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。 この3年間、色んなことがあったと思います。 少しさぼったと思っている人、自分は一生懸命まじめに物事に取り組んできたと胸を張って言える人、部活動も学習も一生懸命やったと思える人、友人との関係に思い悩んだ夜を過ごした人もいるでしょう。 様々な思いを胸に抱えておられると思います。この皆さんの15歳の春は、皆さんが義務教育を修了された区切りの春です。 何と何との区切りかというと、義務教育とそうでない教育との区切りというよりも、今までの自分とこれからの自分の区切りととらえることがいいと思います。

 時というのは途切れなく続いていますので、自分で区切らないとずっと過去を引きずってしまう場合があります。 私は、子どものころから大人に反発をして、大人を否定して、大人になりたくないと思いながら過ごしてきた子どもでした。 しかし、いつのまにか大人になってしまいました。よく大人は、「今という時は返ってこない、だから悔いの無いように精いっぱい今を生きてください。」と言います。 この言葉は多くの大人が言っているので、皆さんは聞き飽きているのかもしれません。 でも、どうして大人はそういうことを言うのでしょうか。それは、実は正しいからです。 渦中にいるみなさんはなかなか気が付かない、実感として分からないかもしれませんが、これは正しいことです。 過ぎてしまわないと分からないし、後で振り返ってみないと分からないことです。 ですから、この区切りのときに皆さんにあえていいます。今を精いっぱい生きてください。

 私は子供の頃を思い出すと、子供だった自分は自分のことしか考えない自己中心的な自分でした。 相手の気持ちに対する想像力が及ばない自分でした。楽な方向に流される自分、自分の正しさで相手を追い詰める自分でした。 悪いと分かっていてもなかなか「ごめんなさい」と謝ることができない自分でした。そして困ったことがあると大人が助けてくれると思っていた自分でした。 そんな自分と区切りをつけた時は明確には覚えていませんが、ある時点で、そうではない、大人にならないといけないと感じるときがありました。 それがいつなのかについては、また改めて別の機会にお話ししますが、この区切りが皆さんにとって、自分とは何かを考える機会になればいいなと思っています。
 つまり、自分は誰なのか、自分はどこに向かっていくのかを考えてください。 なりたい自分になるということは、自分自身について、自分が何者であるのか分からなければ見えてこないものだと思います。 皆さんが、自分はこうありたいと考えてそれを見つけるとき、自分自身からスタートする、自分自身から考えることをはじめることに気が付かれるのではないかと思います。 皆さんが、この先須磨学園で過ごす3年間をどう過ごすかを、この区切りの時にどうか考えてください。 そして、決意をしてください。決意をするのとしないとでは大きな違いがあります。 その決意はもしかしたらすぐにくじけてしまうかもしれませんが、自分でこうしようと決めないよりは、はるかにいいことです。 どうか皆さんにとって、この区切りが、これからこのように生きていくということを考える機会になれることを願っています。


2015年3月14日 須磨学園 理事長 西 泰子