理事長 式辞


 先ほど卒業証書を授与された中高一貫6期生ならびに高校共学14期生401名のみなさん、ご卒業おめでとうございます。 今日は、この6年間あるいは3年間の時間と場所を共有した人達に別れを告げて、新しい生活に入られる門出の日です。
 保護者の皆様、立派に成長されたご子息・ご息女の姿を万感の思いで見つめておられることと思います。ご子息・ご息女のご卒業を心よりお祝い申し上げます。
 また、足元が悪い中ご臨席を賜りました来賓の皆様方、生徒の門出をともに祝ってくださることに厚く御礼を申し上げます。

 さて、卒業生の皆さん。ここで過ごした6年間、3年間の月日を振り返り、様々な思いで今この時を迎えておられると思います。 皆さんの経験に共通して存在するものは、時間と場所を共有した仲間・先生、膨大な時間を費やした授業、 何段上がったのか積算してみると気が遠くなりそうな学校の階段・坂道、百数十枚に書き残されたPM・TMの記録・・。 皆さんの6年間、3年間のご努力を称えます。
 須磨学園の教育は、生徒一人ひとりがそれぞれの「なりたい自分になる」ことをテーマとして持っています。 そして、さらになりたい自分とは人とどのように関わっているのか、社会とどのように関わっているのかを問うてきました。 しかしながら、社会といっても漠然としていて分からないものですので、自分の属しているグループや共同体に置き換えて聞いてください。

 こうありたい自分になることは誰のためになるのか。自分だけのためなのか。それは、他人の迷惑になることではないのか。 それは、自分や自分を取り巻く人や社会にとってどのような意味を持つのか。そういったことをこれからも引き続き考えていただきたいと思います。
 みなさんが、社会に出ていらっしゃるまでにまだ何年かの時間があります。その間に考えてください。 なりたい自分になることは、自分の欲望を満たすだけのことではないのか。他人の犠牲の上に成り立つことではないのか。自分以外の人のためになることなのか。 それらのことを考えにいれても、それでも自分はこうありたいというはっきりとした姿が見えるのであるのならば、その姿に近づくためにこれからも努力を積み重ねていってください。 なぜなら、なりたい自分に近づく過程において気づくことがあるからです。

 山に登ることで例えるのならば、あるところまで登らないと見えてこない景色があります。山道が苦しくて振り返ることもなく、周りを見る余裕もなく、目の前の道しか見えない。 みなさんが自分はこうありたいという目標を持ってそれに向かって努力する過程においても、同じことが言えるように思います。 苦しくて不安で孤独で先が見えない。目指すところにたどり着けるのか、たどり着けないのか、それも分からない。 くじけそうになったことが何度もあったと思います。そしてこれからもあると思います。
 しかし、ある段階に達して初めて分かることがあります。 あるところまで登ると、急に目の前が開けて今まで想像もしていなかった景色が見えてきて、心が震えるような衝撃とともに次に目指すものが見えてくるかもしれません。 そして、それはもしかしたら皆さんが目指していらっしゃったこととは若干違うかもしれません。 私は、それはそれでいいと思います。
 苦しい時に周りの人のことを考える余裕がなかったことに気付く人もいるでしょう。 支えてくださった人達に感謝する余裕がなかったことに思いが及ぶこともあるかもしれません。後から登って来る人に配慮が欠けていたことに気付く人もいるかもしれません。 時々は、今まで登った道を振り返ってみることもいいのではないかと思います。 この卒業という一つの区切りが、皆さんにとって視界が広くなる機会となることを祈っています。 そして、この先々皆さんを待ち受けている困難を乗り越えて、自分自身が見つけた山に登られますことを願っています。

 皆さんのこれからのますますのご活躍を祈念して、私の話は終わります。

2015年3月1日 理事長 西 泰子