学園長 式辞



 卒業生の皆さん、保護者、御家族の皆様、須磨学園高等学校ご卒業おめでとうございます。 皆さんが中学に入学してから6年、高校に入学してから3年、勉学を果たし、今日、ここに無事に卒業式を迎えることができたことを、学校法人須磨学園の役員、教職員全員で喜びたいと思います。

 今日は、この6年間、3年間に、折に触れ皆さんにお話してきたことの中から、改めて大切だと考えることを取り上げて私の話とします。

 今日の入場の音楽は何だったでしょうか?アントニオ・ビバルディの「冬」です。 CDならば「冬」で終わりますが、「冬」の次には「春」が必ずやってきます。 諸君らが今日下校するときに掛かっているビバルディは「春」です。冬がずっと続かないということを、我々は経験で知っています。 厳しく、辛かった冬はもうすぐ終わるのです。そして春が来ます。

 僕は今年の2月に57になりました。君たちより39歳年上です。この39年間で学んだことがあります。 それは、「目的にまっしぐらという生き方だけでなく、そのプロセスを大切にすることも大切である」ということです。 受験勉強は合格することが大切であります。同時に、この6年間、3年間のコツコツ勉強してきたこともとても大切な経験でした。 料理は食べて何ぼのものですが、食事を作るということは楽しく、食事を作ってもらうことはありがたいことです。 恋愛は、相手に自分を気に入ってもらうことが大切ですが、その付き合いのプロセスが大切です。
 小学生時代も中学生時代も自分では何も決めずに、「成り行きに任せる生き方」をしてきた人が多いと思います。 泣いたり、笑ったり、たんたんと成り行きのプロセスを楽しんではきたけれど、はっきりとした目的意識はどうだったのでしょうか。 高校を卒業すれば、もう立派な大人です。 すべてのことを自分で決め、プロジェクトマネジメントとタイムマネジメントを使って自分の人生を自分で択ぶということをしていってほしいと思います。 自分で択んで、たとえ、万一失敗してもいいではないですか。その失敗にも、意味があります。

 辞書に載っている言葉ですが、”blessing in disguise”という言葉があります。これはどう訳すのか。 直訳すると、”blessing”とは神様の祝福、”in disguise”とは形を変える、つまり「形を変えた神様の祝福」ということになりますが、 「一瞬悪くても、後になってみれば、良かったといえること」のことです。私は今までの人生で、大学に落ちて浪人をし、さらに入った大学を中退し、会社の社長を辞めました。 これらのことがあっても、今はそれでよかったと思うようになりました。 浪人時代には読書を始め、これが20代の仕事のベースになりました。ずっと勉強を続けることができて、大学人になることができました。 高校と中学の仕事に出会えて、今ここに学園長としています。 君たちより年上だから自信をもっていえることがあります。 それは、「失敗に見えることも、何もかも含めて、人生に起こることで要らないものは何一つない。」ということです。 うまくいかなかったことは、そうするとこうなるという偉大な実験だったということが言えると思います。

 先を読む力が、先見性、それに実行力を加えると創造性といいます。 未来へのビジョンを捜し求めて自らシナリオを作り、未来を作っていってください。 若いときは、色々なことを乗り越え、成し遂げることの出来るエネルギーに満ち溢れています。 どうか皆さん、人生のあらゆる科目にチャレンジをして、21世紀の日本、世界において、なりたい自分になってください。

蛍の光を歌うときに、3年前から皆で手を繋ぐことにしました。 私の知る限り日本では須磨学園だけです。 その心は、君たちには、ともに学んだ仲間がいるということです。それを覚えていてほしいということなのです。 困ったことがあったなら、須磨学園で学んだことを、卒業アルバムを開いて思い出してみてください。 いつでもメールしてください。この丘の上に相談に帰ってきて下さい。我々はいつでも皆さんの味方です。 だから、今日は「さようなら」の日ではなく、「いってらっしゃい」の日です。「卒業式」は「出発式」でもあります。

 最後にもう一度、私は、3年間無事で、今日ここに卒業式を迎えることができたことを心から感謝いたします。皆さん、ありがとう。そして、皆さん、おめでとう。
 須磨学園は、皆さん一人一人のこれからの人生における健闘を願い、皆さん一人一人の自己実現を祈っています。

元気で、いって らっしゃい!



2013年3月2日 学園長 西 和彦