理事長 式辞



 この冬はとても寒く厳しい冬でしたが、一昨日あたりから春が近づいてきていることを感じられるようになりました。 先ほど授与された卒業証書を手にした中高一貫4期生ならびに高校共学12期生、343名のみなさん、ご卒業おめでとうございます。 保護者の皆さま、立派に成長されたご子息・ご息女の姿を万感の思いで見つめておられると思います。 ご子息・ご息女のご卒業を心よりお祝い申し上げます。 また、ご多忙中のところご臨席を賜りました来賓の皆さま方、生徒達の門出をともに祝ってくださることに厚く御礼を申し上げます。

 卒業生のみなさん、今ここで過ごした6年間、3年間の月日をふりかえり様々な思いでこの時をむかえておられることと思います。 みなさんの経験に共通して存在するものは、時間と場所を共有した仲間・先生、膨大な時間を費やした授業、何段上ったのか数えてみると気が遠くなりそうな学校の階段、百数十枚、三百数十枚に書き残されたTM・PMの記録。 みなさんのこの6年間、3年間のご努力とご健闘を称えます。
 須磨学園の教育は、生徒一人ひとりがそれぞれのなりたい自分になることを目指しています。 そしてさらにそのなりたい自分は、人と社会とどのように関わっていくのか、関わっていく自分なのかということを問うてきました。 しかしながら、社会といっても漠然としていて分からないものですので、自分の属しているグループや共同体に置き換えて聞いてください。

 こうありたい自分になることはだれのためになるのか。 自分だけのためなのか、それは他人の迷惑になることではないのか、それは自分や自分を取り巻く人たちや社会にとってどのような意味をもつのか。 そういったことをこれからも引き続き考えていただきたく思います。 なりたい自分になることは、自分の欲望を満たすだけのことではないのか。他人の犠牲のうえになりたつものではないのか。自分以外の人のためになることなのか。 それらのことを考えにいれても、それでも自分はこうありたいというはっきりした姿が見えるのであれば、その姿に近づくためにこれからも努力を積み重ねていってください。 なぜなら、自分のなりたい自分に近づく過程において気づくことがあるからです。
 山に登ることで例えるならば、あるところまで登らないと見えてこない景色があります。 山道が苦しくて振り返ることもなく、周りを見る余裕もなく、目の前の道しかみえない。 みなさんが、自分はこうありたいという目標をもって、それに向かって努力する過程においても同じことがいえるかもしれません。 苦しくて不安で孤独で先が見えない。目指すところにたどり着けるのか、たどり着けないのか、それも分からない。 くじけそうになることが何度もあったと思いますし、これからもあることと思います。 でも、ある段階に到達して初めてわかることがあると思います。 あるところまで登ると、急に目の前が開けて見える事柄があるように、今まで想像もしなかった景色を目の当たりにして心が震えるような衝撃とともに、次に目指すことが見えてくるかもしれません。 そして、それはもしかすると、今までみなさんが目指してきたこととは若干違うかもしれませんが、それはそれでいいと思います。 苦しいときに周りの人のことを考える余裕がなかったことに気づく人もいるでしょう。支えてくださった人たちに感謝する余裕がなかったことに思いが及ぶこともあるかもしれません。 後から登ってくる人への配慮が欠けていたことに気づく人もいるかもしれません。今まで登ってきた道を振り返って、よくここまで登ってきたなあと思ってください。

 この卒業という一つの区切りがみなさんにとって、視界が広くなる機会となることを祈っています。 そして、次の高みを目指すスタート地点になることを願っています。 みなさんのこれからのますますのご活躍とご健闘を祈念して私の話を終わります。




2013年3月2日 理事長 西 泰子