学園長 訓話

おはようございます。9月1日になりました。今日から2学期です。

振り返ってみると、この夏はとっても暑かったです。飛行機の事故とか、酷い殺人とか、地震とか、原子力発電所の問題とか、いろんな嫌になるような事故、嫌になるような事件が、たくさんありましたよね。で、そういうことを見ながら、なんかもう、世の中はどうなっていくのだろうと、希望を失うというか、がっかりした人も多かったのではないかと思います。

世の中に起こること、世の中にあること、それには「いい面」と「悪い面」が必ずあると思うんです。例えば、文明の利器である自動車、自動車があるからこそ、われわれは早く移動することができる、遠くに行くことができる。早いスピードで走るということはとても楽しいことでありますが、ところが自動車は排気ガスを出す、早いスピードで走っている自動車は交通自動車を起す。技術が進んで、文明の利器が生まれて便利になるところもあるけれども、大気汚染や交通事故が起こる、不便になるところ、人間に困ったところも出てきます。

須磨学園は広島だけではなく長崎にも行って平和を考えるという教育をしてきましたが、先の戦争で原子爆弾が投下されました。夏休みにテレビで改めて原爆という武器の酷さ、放射能武器の酷さについて、番組を見た人も多いと思うんです。この放射能、原子力というものが、実は、われわれの使う電気になっていました。夏に、暑い夏に涼しくするためのエネルギーというものは、放射能を使って創られていたわけですね。それを改めて今夏の新潟の地震で認識をしました。酷い武器であったものが、平和な生活に使われている、でもそれは本当はどうなのか、ということを私は考えました。

携帯電話があって、どこでも意思が通じることができる。メールを送ることができることによって、年賀状の数が減っているそうです。通話やメールを送るためにお小遣いのほとんどが電話代になってしまって、何もお金が使えないという状況にある人もいると聞きます。

全てのものに、いい面とよく内面と悪い面とこの2つがあるという、そういうことなんですね。それを、いいと悪いという面があるけれど、全体的にみると、それは○なのか×なのかを判断することが我々に求められていることなんではないでしょうか。いいところだけをみて○ということ、悪いところだけをみて×ということをしないで、いいところと悪いところと両方見て、それぞれの人がそれぞれの意見を考えるようにしたらいいのではないかな、と思うんです。それで、よければ○でいいと思うです。しかし、人生も、世の中も、○だけでは決してない。いいところと悪いところと考えて、結局は×、だめ、悪い、ということを評価というか、決心しなければならないことが、いろいろたくさん日常の生活ではあるんですね。

私はその時に、今日、諸君らに是非、覚えてほしいと思うひとつの言葉があります。

マルチンルターという人がいました。この人は大変有名な宗教改革者でした。須磨学園は宗教に関しては、どの宗教も尊重するけれども、学校では宗教は教えないというという立場をとっていますが、あえて今日は、ルターという宗教者だけでなく哲学者の勇気ある言葉を伝えて、それを覚えておいてほしいなと思うんです。

どういう言葉かと言いますと、「たとえ明日、世界が滅んでも、私は今日、りんごの木を植える」という言葉です。この言葉の意味は、明日、世界が滅ぶ、もちろん自分も居なくなる、という希望がない、夢もない、なんもなくなる、そういう状況においても、最後のその瞬間まで自分は希望を忘れずにやるんだ、ということだと私は思うのです。

これからの人生で諸君らは色々嫌なことがあるかもしれません。例えば、いまから35分後にはテストが始まるわけで・・・、こまった事、ダメとおもう事、直らない病気になって。いろんなことがあると思うんです。私はここでもう一度言いたい、いろんなそんな困ったことになったとしても、決して希望を忘れないでいてほしいと思うんです。どうしてそういう生き方を僕がみんなにしてほしいというと、それは、そういう生き方をしなければいけないという人間のあるべき論ではなくて、そういう生き方をするということが、人間としてとてもすばらしいとこではないか、人間としてとても美しいことではないかと思うわけです。

実は、私の始業式の挨拶、終業式の挨拶、入学式の挨拶、卒業式の挨拶、毎年、同じことを言っているじゃないかって、批判した生徒がいたと聞きました。でも、これからは毎回違う話をすることにしました。ホームページにそれを乗せて、どうも、自分が知らないだけだったのかもしれないけれど、たしかに私は同じことを言っていました。同じことを言って、みんなはそれを笑っていたということです。そんなふうに言われたら嫌ですね。一生懸命考えたスピーチです。がっかりしました。

そういう話を聞きながら僕が思ったことは、同じ話を言ってるじゃないか、と詰られたけれど、まあ、それは毎回違う新しい話をするという切っ掛けになったわけだから、ものは考えようだな、と思うことにしました。

ということで、いろんな事があっても、希望を持ち続けることを諦めない2学期であってほしいと思います。ちょっとぐらいテストの点が悪くても、希望している大学に行けるか行けないかわからなくても、友達と喧嘩しても、それでも希望を持ち続ける、そうしたら、そのうち、いいことがたくさんあるのではないかなぁと思います。

 諸君らの2学期の勉強と遊びに対する健闘を祈ります。




2007年9月1日 学園長 西和彦