【学園長 式辞】




 中学校卒業、おめでとうございます。
この卒業は義務教育が終わったという、そういう区切りですが、この後は、高校、大学、大学院と全てこれからは自分の意思で教育を受ける、強制されて教育を受けるのではないということをしっかり覚えておいてほしいのです。勉強するのも自由。やめるのも自由です。
 しかし、私は諸君らにお願いしたい。みなさん一人一人、ぜひ大学に行って、その次の大学院に行ってほしい。ほとんどの人が大学に入れるようになってしまった今日、大学に2年間追加で行って修士号を取るということが非常に大きな意味を持ってきます。私は大学の途中で会社を始めました。大学を途中でやめてしまいました。それから10何年かかって、その大学をやめたということに取り戻すのが大変でした。博士号をとったのは、42歳のときでした。一人一人の人が博士まで行くという事を要求はしていません。大学で教えるという免許みたいなものが博士号だと思います。ただ、一人一人が大学に学び、大学院に学び、世間に誇れる自分の専門というものをもって、世の中にでて仕事をしてほしいのです。そのことを強く思います。

 高校時代というのは大切です。どういう意味で大切なのかというと、一人一人の個人の行き方の基本を決める時代であるということです。それは帰国子女のみなさんを見ていて、そういう結論にいたりました。子供の時にアメリカで生活をして帰ってきて、子供の時だから、帰ってきたらアメリカ人のようになるのではないかといったら、そうではありません。高校時代をすごした国の文化とか習慣とかを人は受け入れます。その国の人に近くなるような感じがあります。私の親友でブラジルにいた人がいます。もちろん日本人ですが、日本語も完璧にしゃべれますが、本人が自分で自分はブラジル人だと言います。ブラジルの国柄の人懐っこさ、気前の良さ、どう考えても日本人というよりもブラジル人だといいます。高校時代をアメリカですごした友達がいますが、日本に帰ってきてからアメリカ人とつきあうような感じで今もずっと付き合いが続いています。諸君らは高校時代のこれからの3年間を須磨学園で神戸で日本で過ごします。それらが諸君らの将来にどういう意味をもつかということ、その自覚をぜひ、これからの3年間で築き上げてほしいと思います。

 諸君らは須磨学園中学校のときに、中学生のカリキュラムを1年生2年生に終わり、中学校の3年生のときから高校の教科書を使ってきました。普通の中学校1年生、2年生、3年生ではないのです。J1、J2、S1、S2ということできました。須磨学園高等学校には公立の中学から進級してくる外進生という人たちもいます。その人たちのことを高校1年、高校2年、高校3年といってきましたが、今度、J1、S1にならって、K1という名前にしました。K1、K2、K3。ということで、K1というのは他に年末にやる格闘技のチャンピョンシップがありますが、外から来た諸君らは大変に優秀な人がたくさんいるだろうと思います。普通に考えれば、ぜひ、その諸君らに負けないでと私は話したいと思いますけれども、今日は違います。彼らと仲良くしてください。彼らに嫌われるような生徒にならないでほしい。人に嫌われないためにはどうしたらいいか。それはこちらから挨拶をすることです。「3年間、須磨学園にいた彼らは立派だな、かわいいな」と思ってもらえる努力をぜひしてください。

 僕は甲陽学院という高校で、高校から甲陽学院にはいりました。1学年のうち高校から甲陽学院にはいったのはたったの40人でした。高校からはいったグループはいつも肩身の狭い思いをしていました。中学から来た諸君らは160人もいたのです。大学は早稲田大学にいきましたが、早稲田でも、早稲田高等学院という早稲田の付属の高校からあがってきた人たちがいました。その人たちは大変数が少なくて少数でした。だから下からあがってきた人たちと外から来た人たちとが仲良くするには、非常に難しいものがあります。それが難しいということだけを認識して後は諸君らの良識、良心に委ねたい。ぜひ、良い生徒として高校の3年間をお互いに仲良くすごしてほしいと思います。その時におそらく諸君らは、一見バラバラに見えるこの第1期生がどんなに強く強靭な絆でつながっているということををはっきりと知ると思います。それもぜひ大切にしてください。
卒業のお祝いの言葉としたいと思います。



2007年3月20日 学園長 西和彦