理事長式辞

西 泰子

5期生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。
この慶びの日を、ともに迎えさせていただける事を、みなさんに感謝いたします。
保護者の皆様、この日を心待ちにしてこられたことと存じます。
ご子息、ご子女の門出を心よりお慶び申し上げます。
ご多忙中の中、ご臨席を賜りましたご来賓の皆様方、厚く御礼申し上げます。
またこの三年間、みなさんを励まし支えてきた淺尾部長をはじめとする第3学年の教員団の熱く深い情熱と健闘を、この場をお借りして讃えたいとお思います。

みなさんは本当に頑張られました。みなさんのこの3年間に拍手を送ります。

さて今日これから学校を背にして、新しい世界に出て行くみなさん。
みなさんは今日から、校則からも、先生の指示からも、課題からも、解放され「須磨学園高等学校」という枠組みから自由になられます。

しかし、みなさんが自由になるのは、須磨学園という枠組みからであり、
また別の、また違う大きな枠組みの中にはいって行かれます。
この枠組みを「社会」と言っていいと思いますが、
みなさんを待っている今の社会は、残念ながら矛盾と葛藤が渦巻いています。
理屈が通らないことが、山ほどあります。不公平で不合理なことがまかり通っています。
学校の机の上で学んだことは、もしかすると直ぐには役に立たないかもしれません。
守られた環境の中で過ごしていらしたみなさんの困惑する顔が目に浮かんできます。

こつこつ真面目に努力する。必死で頑張る。ひたむきに努力する。これらのことが、意味を持たなくなってきました。真面目であることを「ださい」「格好悪い」と思っておられる方がいらっしゃるかもしれません。
現在は「うまくやる」とか「要領よくやる」ということが、素晴らしいことだと、もてはやされる世の中ではあります。

しかしながら、昨今のメディアを賑わせているように、「うまくやってきた人たち」が
引き起こした事件の波紋は私たちの前に大きく広がっています。
最高学府で学ぶことは、決して「うまくやるため」ではないと思います。

成績優秀だといわれることが、全てではありません。
人として、どうか。人間として、どうか。ということが問われていきます。

今一度、自分自身を振り返っていただきたい。
自分は、人として恥ずかしくない生き方をしているか。
自分は、両親に、兄弟に、友人に対して、恥ずかしくない行動をしているか。
自分は、どういう人間としてみんなの記憶に残っていくのか。
どうか、自らの欲望に従うだけの人生を送らないでください。

社会に出て行く方たち、あるいは進学して専門性を身につける道を目指す方たち、
みなさんはこれから、それぞれの道を歩んでいかれます。
同じ場所で、同じ時間を共有したクラスメイトが、卒業を境に別々の道をたどり、それぞれの世界に社会に生きていくことになります。

どうか、納得できる人生を歩んでいって下さい。

私たちはこの三年の間、みなさんに「自分がなりたいと思う自分になること」を求めてきました。自己を実現することがテーマだったと思います。
しかしながら、自己実現とは果てしなく遠い道のりであり、志が高い人ほど、たどり着けない道のりを歩くことになります。
そしてそのために、何をしなければならないのか。
それぞれの目標を実現するための努力を求めてきました。
それは勉強であり、また部活動であり、また人と人との関係、人と社会との関係をつくることだったかもしれません。
何も見つからず、迷路の中に入り込んだままの人もいるかもしれません。

「自分」にまつわる迷路に入っていくこと、それをひとつの「旅」と言ってもいいと思いますが、旅の意味は常に目的地ではなく、旅をすることそれ自体の中にあると考えます。
つまり自分自身を探し当てることではなく、自分がどう生きるかということだと考えます。

より良く生きていくために、みなさんは学び続けていっていただきたい。
学ぶことは、決して机の上の勉強だけではありません。
経験から学ぶ。失敗から学ぶ。仕事を通して学ぶ。人から学ぶ。様々な学びがあります。

学ぶことを放棄し、前に突き進むことを放棄した若者は、現状維持の自堕落さにおちいるしかなく、そこにはある種の快適な居心地のよさがあります。しかし、そこに安住しつづけるとき、私たちは知らぬ間に「若さ」に別れを告げることになると思います。
私はみなさんに、いつまでも若くいてほしいと願っています。
困難に立ち向かい、変革を恐れず、果敢に挑戦しながら、年齢とは関係のない「若さ」を実現し続けていってほしい。

その願いと祈りをみなさんへ別れの挨拶として、私の言葉を終わらせていただきます。

以上