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2016年度 高校卒業式 理事長 式辞

 校庭の白梅はいつの間にか咲き、春の訪れを告げています。たった今、卒業証書を授与された共学16期生ならびに一貫8期生の皆さん、この3年あるいは6年、時間と場所を共有した人たちに別れを告げて、新しい生活に入られる皆さん、今日は区切りの日です。皆さんがひたむきに積み重ねてきた努力と情熱をたたえます。保護者の皆様にお礼とお慶びを申し上げます。須磨学園の教育を進める上で、保護者の皆様から賜りましたご支援とご協力、心より感謝申し上げます。また、立派に成長された子どもさんの姿を前にされて、お喜びもひとしおのことと存じます。おめでとうございます。

 さて、皆さん。須磨学園での生活は実に色々なことがあったと思います。楽しいことばかりではなかったかもしれません。思うような結果が出せず悔しかった日も、クラスメイトとのいさかいに眠れない夜を過ごしたことも、全ては過ぎ去ったことになりました。何年かたって振り返ってみると、全ての事柄がいい思い出となって思い起こされるでしょう。

 実は私にも18歳のころがありました。私が高校を卒業した時、部活動の顧問の先生から本を頂きました。題名は「人間―この未知なるもの」、アレキシス・カレルという人が書いた本です。その本の扉のページに書いてあった言葉に、当時の私は強い衝撃を受け、それから何年かの間、頭から離れませんでした。

  もし私が私のためだけに生きているとすれば、
  私とはだれであろうか
  もし私が他の人のためだけに生きているとすれば、
  私とは一体なにものであろうか

という言葉でした。それから40年たった今も、私はその問にきちんとした答をもっていません。この「私とは何か」という問は、昔から私たちを悩ませてきた問であり、宗教家や哲学者によって、様々な答がなされてきました。しかし、どのような答を読んでみても、彼らの答には収まりきらない私がいるような気がしています。私は青春期と呼ばれる時期に、この答を見つけるための迷路のようなものに入り込み、時間を費やしてしまいました。そして、いつどのようなきっかけで問題から離れることができたのか覚えてはいないのですが、ある時期からそういうことを考えなくなりました。理由の一つは、多分仕事や家庭が忙しくなったからです。「私とは何か」という問に悩んだのは、自由な時間がふんだんにあるという贅沢な環境の中にいたからだったかもしれません。

 皆さんが生きていく時代は、多様化した、相対的な時代といわれています。色々な人のあり方や価値観を認めていく、「グローバル化」と呼ばれる時代です。その時代の波にただ飲み込まれるだけでなく、皆さんには自ら決めた人生を生きていっていただきたいと思います。どのように自分以外の人とつながりを持っていくのかを問い、どのように自分自身と対峙していくのかを問い直してほしいと思います。皆さんが、すばらしい旅をされることを祈念しています。

 どうぞお元気で。

2017年3月4日 理事長 西 泰子